ボクは、また、性懲りも無く走ってる。
二日目の朝。
タッタッタッタッ!!
「はぁ、はぁ。」息が切れる。
このままいけば、東京ヘ向かう、バスに間に合わない。
郡山駅東口のエスカレーターを翔けおりたら、サクラ模様のバスが見えた。
「おはようございまーーす!!!!乗りまーーーーーす!!!!」
---肩の力を抜け---
この旅行中なんども、聞こえた声。
【脱力】
この言葉の面白さを、
とある目細い青年におこった、
奇跡のモノガタリとともに、語ろう。
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初日である。
平成29年12月27日、郡山駅東口、朝7:20。
日本に大寒波が、到来する日。
夜行バスから僕は降りて、
福島県、郡山に降り着いた。
白銀のラパン(自動車)にのって、
まゆみさんが、迎えに来てくれた。
※実は、このラパン、数年後に譲り受けることになるのだが、この時の2人は知る由もない。
2021年現在も、ボクを乗せていろんなところに連れて行ってくれている。
さて、まゆみさんは、
ジャポが初めて働いた職場、観音山フルーツガーデンにいた、上司にあたる人だ。
じゅんぺいさんとともに、大変お世話になった人だ。
あの当時のつながりは、観音山の皆さんを含め、語りだしたら果てしないので、ここでは割愛する。
いつか、話せる時が来るといいなぁ。
なにより今回の旅、まゆみさんのおかげで、雪道の知らない土地の中、安心して行動ができたのである。
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とりあえず、WIkipedia に載っていた情報をもとに、
ひいじいちゃんの出生地である、現在の猪苗代町。
その町役場にいってみることに。
まゆみさんの運転は、スーッと進んでいく。
雪の景色の中、温かいコーヒーとラパンの暖房があっためてくれる。
まゆみさんが駐車場に車を停めてくれて、先にボクを行かしてくれる。
何もなかったらどうしようという、不安とともに、ドアを開ける。
ガチャ。
ジャポ「こんにちはー。すみません。原田覚さんという方が、ボクのひいおじいさんでして…しどろもどろ…あ、戸籍とかって、探していただくことは可能ですか」
役場のお姉さん「はぁ…。家系図を作るためですね(^^)お調べいたします。」
<パソコンをカチャカチャ。>
<ジャポの心臓、ドキドキ。>
役場のお姉さん「ありましたよー。原田覚さん。結婚する時に本家の方からは除籍されていましたが、きちんと猪苗代にありましたよ。」
あったのだ!!!
住所も分からなかったのに。
電話番号も分からなかったのに。
名前しか、知らなかったのに。
しかし、ゲームでいうところの鍵とか宝地図が手に入ったのだ。
すこし、前に近くに来てくれた、まゆみさんも、ポカーンとしている。
「こんなことって、あるの?」
しかし、そこにあったのは昔の住所だったので、現在の具体的な住所は分からない。
かろうじて、上太子堂という地域であるということを教えてもらった。
ただ、その辺りに行ったところで、なんの頼りもない。
まして、あやしい人が来たと、怖がらせてしまうこともあるだろうなーと、ぼんやりと考えた。
だから、とりあえず観光を楽しむことにした。
(後で聞いたが、真弓さんもどうやら、これ以上は、難しいだろうなぁと、考えてていたらしい。)
何よりその時、ボクは戸籍が手に入った喜びに浸って、にやけがとまらなかった。
ただ、その喜びの中でも、「肩の力を抜け〜」と聞こえていたのだ。
そのあと、苗代町湖で鳥と、遊びながら...
まゆみさん「あの役場のお姉さん、言葉、なまってなかったねー。」
ジャポ「えっ?なまってたよ。w」
もちろん、この時のジャポとまゆみさんは、この後、起こるさらなる奇跡を、知るよしもない。
まだ、朝の10時である。
福島県は、面白い物語をスタートさせてくれていたのだ。
第2章に続く。