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ひいじいちゃんを求めて。福島旅ー終章ー

家の中から、おばあさんが出てきてくれた。


おばあさん「あぁ〜、武夫さんにそっくりだぁ」


武夫さんは、ボクのおじいちゃんである。


つまり、原田覚さんの息子に当たるわけだ。


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おばあさんは、

 

家の中へ案内をしてくれ、こたつへ入れてくれた。

 

壁には原田角さんの写真も飾ってある。

 

 

少ししてからまゆみさんが車を停めて、

 

そして、除雪を終えたおじいさんが、中に入ってきてくれた。

 

おばあさんは、ゆっくりと話を始めてくれた。


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※この家はもともと、

 

原田覚さん(ボクのひいじいちゃん)のお兄さん(原田清さん)が守ってきた。


つまり、原田家の
本家にあたる


おばあさん(光子さん)は、清さんのお孫さんなのだそう。

 

そして、除雪機を使用していた、おじいさん(好英さん)が、

 

お婿さんとして家に入り14代目、

今の原田家を守ってくださっているようだ。


ひいじいちゃんは、次男といのもあって、海軍軍人として、

 

色々な場所に行っていた。

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おばあさんは、次々と話してくれる。

「原田家は、代々、お坊さんだったんだよ」

 

金剛位法印。

 

比叡山延暦寺の天台宗。

 

 

目から鱗がポロリ。

 

 

「原田家の初代の人が、藩主 保科正之と一緒に、会津に来たんだろう。」

そういって、お墓の台帳を見せてくれる。

 

さすが、お坊さんの家系。

 

 

 

1655年ごろから、すべて、お墓に記されていたという。

 

話してくれている光子さんの目は、ずっと潤んでいる。

 

正直いうと、そんなに知っていることはないはずなのだ。

 

戦後はそれぞれが生きていくことで、精一杯だった。

 

それでも、たくさん、話してくれた。

 

「覚おじちゃんが最後に来た時、私は0才でなぁ。そのお話は、よう聞いたよ。」


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雪の多い日だった。

「覚おじちゃんが、雪にハマっとる!!!!


子どもたちが雪で落とし穴を作って遊んでいたら、覚さんが落ちてしまったらしい。


海軍の偉い人だったはずだ。


でも、誰が偉いとか、そういう価値観は原田家にはない。


それが、わかるから、おもわず笑ってしまう。


まゆみさんが、

 

「あなたたちは、雪を連れてくる人達なのかもね」

 

と、ボソリといった。

 


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まゆみさんとボクは、

 

お仏壇にお線香をあげさせてもらう。

 

「来てくれて、ありがとう。」

 

「導いてくれて、ありがとう。」

 

 

先祖とボクは、きっとこんな会話のはずだ。

 

まゆみさんとボクの会話も、こんな感じだ。

 

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今のローソンが、覚さんのお母さんの実家があった場所で、酒屋さんだったらしい。

 

あずまがわというお酒だったという。

 

※今はないとのこと。

復刻したらどんなに美味しい味がするだろうと思いを馳せる。

 

その奥にあるお墓に、原田家のお墓があるらしい。

 

まゆみさんとボクは顔を見合わせた。

 

「さっき見たお墓だ!!!」

 

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もし、いつか、ルーツを探す旅に出かけた時、

 

何も見つからなくても大丈夫。

 

なぜかって?

 

おしまいは後味のいい結末を用意してくれた。

 

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ボクたちは家を出た。

 

18時ごろだっただろうか、辺りはすっかり暗く、雪は相変わらず降り続いている。

 

まゆみさんはローソンに車を、停めてくれた。

 

「お墓は一番奥だから、この雪の中、見に行くのは難しいだろう。」

 

そう教えてもらっていたが、ボクはもう決めていた。

 

ローソンで、トイレを済ませ、缶ビールを買う。

 

ポケットには、みかんが2つ。

 

 

 

「お墓寄れたら寄ってくれる?」と、ぼく。

 

お墓の隣に大きな駐車場があった。雪で境目は見えない。

 

「ライトで照らしておくからいっておいで。」

 

まゆみさんは、最後まで好きに見守ってくれた。

 

ボクは歩き出す。

 

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足に雪を埋まらせながら、

 

導かれるように迷わず、

 

1つのお墓に引き寄せられる。

 

 

ここのお墓の表札だけ、

 

雪がかかっていなく、

 

名前が現れていた。

 

 

ボクは、奥まで進む。

 

お墓に積もる雪を下ろす。

 

みかんをポケットから二つ取り出し、御供えをする。

 

 

缶ビールのタブを引く。

 

プシュッ。

 

目を瞑る。

 

突然、たくさんの原田さんが、宴を始めた。

 

お坊さんの家系だ。

 

 

父のように、寡黙な人もいる。

 

兄のように、真面目な人もいる。

 

ボクのように、変な人もいる。

 

共通するのは、原田家だけ。

 

 

でも、感じ方と動き方が、原田家なのだ。

 

ボクは「乾杯」と呟き、グビリと缶ビールを口にする。

 

優しい安心感と、充足感に包まれて、お墓を後にした。

 

 

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「肩の力を抜く」

 

原田家祖先からのメッセージ。

 

これは、違う言い方をすれば、

「頑張らない」ということでもあるし、

「今を楽しむ」ということでもあると思う。

 

人と接する時に、肩の力を抜く。

 

すると、地に足がつく。

 

そしたら、安心してその時間を楽しめる。

 

これは、原田家の癖なんだと思うけど、そこからわかったのは…

 

自分のルーツを知るというのは、自分の考え方を知るということだった。

 

訪ねた先にいた、

 

好英さんと光子さんの、接し方にどれだけ、感動したか。

 

まゆみさんは、あの二人をみて、原田家を強く感じたという。

 

普通であれば、「訪ねてきて、変な人。」とか、考えてしまうこともあるし、

 

警戒をしたりも当然だ。

 

しかし、2人は、自然体で接してくれた。

 

そこに、原田家をのルーツをみた。

 

自分の生き方をみてみることが、

 

自分のルーツに出会うこと、なんじゃないかなぁ。

 

だから、実際に探しに行かなくても、

 

自分の親を見て、

 

自分の考え方を感じてみたり。

 

友達に聞いてみて、そういうふうに見えてるんだとか。

 

他の家の人と、比べたって、違うのが当たり前なんだということを知っておくのも大事な気がする。笑

 

そんな、「あたりまえ」なことを、ボクは、会いに行かせてもらって、初めて気づきました。

 

旅っていいなぁ。

 

まゆみさん、ありがとうございました。

 

好英さんと光子さん、ありがとうございました。

 

無限の感謝を込めて。

 

 

2017年12月28日

難波のマブタナルド

ジャポ